あたしがまだ、肉体的にも精神的にも幼かった時。
よく夢を見て、そして願った。



あたしの前を、あの子が歩く。

あたしは、置いていかれないように紐を強く握り締めて足を速める。

でも、あたしはどうやってもあの子の元へは追いつけなくて。

あたしが追いつこうとする度に、あの子はまるで「追いついてごらん」とでも
言ってるみたいに、あたしより一足も二足も先を行く。

あたしは、それが楽しかった。きっとあの子も、あたしとのそんな鬼ごっこを
楽しんでいたんだろう。


でも、段々と嫌になってきた。

いつまでも鬼は嫌だった。たまには、あたしが笑いながら逃げてみたかった。

嫌になって、疲れてきて、あたしはとうとう足を止めた。

気がつくと、あの子の姿は見えなくなってた。

そして、目の前には大きな車が走ってきた。

あたしは、怖くて、訳が分からなくて、目を瞑ろうとした。

その時、聞きなれたあの子の声が聞こえた。

あの子は初めてあたしの後ろにいた。

いつもよりずっと必死に、思いっきり走ってきて。

あたしをとん、と突き飛ばした。



それが、夢。



――ねぇ、スカーレット。

あんたは、幸せだった?
あたしは、あんたにとって良いマスターだった?
分からない。

あの子が死んだ今となっては。
あたしがあの子を死なせてしまった今となっては。


だから、もし一つだけ、願いが叶うなら。
もう一度、あの子に会わせてください。
会って、言わせてください。


ごめんなさい、と。



それが、願い。

今でも思い出す。
最初の愛犬……スカーレットの黒銀の毛並みが、赤い眼が、自らの赤黒い血に
上塗りされていく、その光景を。

怖くて、悲しくて……そして、嫌だった。
目の前の現実が。
愛犬から与えられたものは数知れないのに、自分は何も返してあげられなかったことが。

だから、その時誓った。
もう2度と、大切なものを目の前で失わせはしない……と。





そして今日まで、あたしの中でその気持ちは色褪せることはなかった。
でも、あたしは気付いてしまった。
ううん、今まで気付かないふりをしていただけで、本当は分かっていたのかもしれない。

「守る」という思いだけじゃ、何も守れないってこと。
大切なものを失わないためには、守るためには、もう一つ必要なものがあるんだってこと。

――だから、あたしは願った。
ここは何処だとか、あたしの目の前で問いかけた存在は何なのかとか、そんなことは
どうでも良かった……少なくとも今は。

あたしの願いは――ただ一つだけだった。





「力を……この手に、大切なものを守ることの出来る力を下さい」

アリサが自らの願いを口にした瞬間、願いを尋ねたその光は、僅かに揺らいだように
見えた。まるで、アリサの願いを吟味するかのように。
その間アリサも黙っていたので、しばらくその何処とも知らない空間に沈黙が降りた。

「望むのならば、2つ聞かせて下さい。まず、何故力を欲するのですか?」

しばらくして返ってきた光の答えはこんなものだった。
アリサは心中で無条件に願いを叶えるのではなかったのかと突っ込みたくなったが、
何とかその衝動を抑えると言葉を返す。

「何度も言わせないで。大切なものを守る為、よ」
「しかし、私は得た力に溺れ、身体や精神を壊した者を数多く見ています。貴方が
力を得て、そうならないという保証はない」

光の問い詰めるような語りかけに、今度こそアリサは不満の色を隠さず溜め息をつく。
これでは尋問のようなものだ。最初の文句が嘘っぽく聞こえてくる。
しかしアリサの答えは既に決まっている。それを答えて、自分が望む「力」を手にする
ことが出来るなら安いものだ。

「それは意志の弱い人間のことよ。力はそれを行使する為の強い意志があって初めて
正しいことに使えるのよ。私は力に溺れるような弱い人間じゃないっていう保証は
あんたには無い。でも、私には守りたいものがあるの。そして、それを守る為には
守りたいという意志だけじゃなくて、力も必要だってことが分かった」

力を制御できるのは、意志。
強い力を持っていても、それに伴う強い意志や目的が存在すれば力に溺れることは無いのだ。
そしてアリサには、それがある。すずかを守りたいという意志が、彼女に力を求めさせているのだ。

「……」

それを聞いたのか聞いていないのか、光はしばらく沈黙を守った。
最初にアリサが自身の願いを口に出した時よりも長い、沈黙。
言いたいことが言い終わって、アリサもまた先刻と同様に押し黙る。



……そして長い沈黙の末、ようやく光が答えた。

「分かりました……貴方の願いを叶えましょう。貴方に力を授けます。どうかその力が、
貴方や貴方の大切な人を壊しませんよう。誰かを傷つける刃になりませんよう……」

その、テレパシーよろしく脳に直接語りかけられたような声に、アリサは思わず顔を
上げた。余りに唐突だったので一瞬話についていきかねたが、すぐにそれが自分の
願いが認められたことに気付いた。
それを理解したかのように、言葉を切っていた光が続ける。

「では、目を閉じて……我、彼の者に力を与える。遠き地に封印されし名も無き力よ、
流星の宝玉の名において命ず。新たなる主、アリサ・バニングスの元へ舞い降りよ。
新たなる主の剣として、その力、解き放て」

アリサが指示に従って目を閉じると、光が呪文の詠唱のように言葉を紡ぎ出した。
その旋律は一見淡々としているようでどこか暖かくて優しく、最初にこの空間に
来た時に感じた心地良さがアリサを包んだ。目を閉じているだけに、このまま眠って
しまいそうになる。

「さあ、目を開けて」

だが寸でのところで、光が再び目を開けるよう促した。
暖かさに身を委ねて目を閉じていたアリサは不承不承薄目を開けたが、視線の先に
あった物に思わずその目は大きく見開かれた。
そこにはさっきまで自分と問答を続けていた光の姿は無く、代わりに一本の日本刀が
刺さっていたのだ。

「これは……?」
「それが貴方の欲した力です。私は貴方の願いを叶えました……それをどう使うかは
貴方しだいですよ」

既に目の前にその姿は無いのに、再びアリサの耳―あるいは脳だろうか―に、あの光の
アリサの疑問に答える形の声が響いた。

(あたしの……力)

これを手に取れば、大切なものを守れるだろうか。
2度と失わずに済むだろうか。
自分達の知らないところで必死に戦っている親友達を助けられるだろうか。
自分の中にある、自分に対する嫌悪感を払拭することが出来るだろうか。

アリサの中に様々な思いが去来しては消えていく。
そしてそれらは、彼女に問い掛けてくる。
望んだものを手にしたことで、その目的を果たすことが出来るのか……と。

(でも……これはあたしが望んだもの。あたしの願いの形)

しかし、いつまでも迷ってはいなかったし、いられなかった。
スカーレットを失った瞬間。
あの少年に、すずかを傷つけられた瞬間。
自分が渇望したのは、確かに守ることの出来る力だった。

だから。

(あたしは、守る)

今まで、非力な自分では守れなかった大切なもの。
それを守る術がそこにあると言うのなら、手にすることを躊躇う理由がどこに
あるだろうか。

(もう、守れないのは嫌だ。そんな弱いあたしの過去とは、さよならだ)

いつの間にか動くようになっていた体を引っ張り、アリサは歩を進めた。
悔恨と哀しみに満ちた過去を捨て、大切なものを守れる力を持った自分と、幸せな
未来を手に入れるために。



そして。

「行くわよ」

アリサはゆっくりと、地面に突き刺さった日本刀……彼女に与えられた力を、
その手に取った。





(……!)

その瞬間、アリサの身体はさっきまでの暖かさとは対照的な、燃えるような熱さに
抱かれた。見ると、本当に紅蓮の炎が彼女を包んでいる。

(熱い……でも、力が湧いてくる)

しかしその炎は焼けるような熱さでありながら、やはりさっきまでいた空間のような
暖かさもどこか感じさせていた。そしてその熱さと暖かさは、アリサに今まで無かった
ような力を与えてくれているようだった。
やがて紅蓮の炎は何かの形を取り、アリサの身体に纏う。

アリサの身体に纏った炎は。
一つは真紅に縁取られた白い衣となり。
一つはそれを結ぶ緑色のリボンとなり。
一つは両手を包む黒いグローブとなり。
一つは全身を守る、黒いマントとなった。

今まさに、アリサ・バニングスは、自らが渇望した「力」を手にしたのだった。

――あたしはやっと、力を手に入れた。
もう2度と、誰にも悲しい思いをさせないための、力を。
だから。



いつしか周辺は、さっきまでいた遠見市の一角へと戻っており、アリサの横には
気を失ったすずかが、目の前にはその犯人である少年が立っていた。
状況はまるでさっきまでと同じ。
だが一つだけ、違っていることがあった。

すずかと少年の間にいるアリサの周りには、紅蓮の炎が飛び散っている。

もうアリサは、少年の刺すような殺気を浴びても金縛りには遭わなかった。
望み、手に入れ、そして決めたから。

――あたしはもう、意志だけで何も出来なかった弱虫じゃない。
あたしは今、力を手に入れた……だから。



――だから、もう迷わない。
あたしは、大切なものを守る為に戦う!



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