同じ頃 遠見市

「そっか……。あれからもう、5年になるんだね」
「うん」

なのは達との約束が無しになって、習い事もなく特にすることが無くなったアリサとすずかは
少し遠出をして、ここ遠見市の大通りの交差点へやってきていた。

その交差点の一角に、アリサは途中で買ってきた花束を置いた。
その表情はいつものような明朗快活なものではなく、遠い昔を思い出すような心ここに
あらずといった表情をしており、またその中には、普段は決して見せない悔恨や哀しみの色が
滲んでいた。

それもそのはず。
ここは傍から見れば普通の場所であるが、アリサにとっては一生忘れられないだろう場所。

…初めて飼った愛犬が、事故に巻き込まれてその命を落とした場所なのだ。

「私にも懐いてたなぁ……。一緒に散歩してたら、あんまり足が速いから見失っちゃったことも
あったっけ」
「うん……」

横でそんなアリサを見つめていたすずかも、同じ様にしゃがんで横断歩道の近くに花束を
置いた。やはりその表情はどこか悲しげだ。

「あの子はもう、あたしのことなんか忘れちゃってるかもしれないわね。覚えてたとしても、
きっと恨んでるだろうし」
「そんなことないよ。あの子はちゃんとアリサちゃんのことを覚えてて、今でも『ありがとう』
って言ってるよ」

アリサの自嘲めいた呟きに対し、すずかは慰めると同時にそれを諌めるような言葉を口にする。
しかしそんなすずかの慈しみに満ちた言葉も、アリサの心には届かない。
ただ、どこか苦笑めいた笑みを返すだけ。

(あたしの、心は……)

それは、傷だった。
それは、あの日この場所で刻まれた傷だった。

それは、小さな傷だけど。
それは、確かにずっと、心の奥にあって。
それは、忘れられない痛みとなっていた。


(……あたしは)

手の中にいた、それは。
銀色の毛が、赤く染まって。
ぐったりと、力なくうなだれて。

(あたしは、あの子を)

アリサの大好きだった赤い眼が、徐々に閉じられていき。
やがて身体が冷たくなる。

その時のことを思い出す度、アリサは自責の念にかられていた。
自分がもう少し気がついていれば、あの子を死なせることはなかった……と。

それはずっとアリサの心にあって。
小さな傷として、彼女の心を縛ってきた。
そしてまた、今まで閉じ込めていた筈の自責の念に囚われようとしていた時。

「……!」
「大丈夫……アリサちゃんは、悪くないよ」

暖かくて、柔らかくて、優しくて。
それでいて強い手に、アリサはそっと後ろから抱き締められていた。

「すずか……。」
「分かってる。あの子がいなくなって、アリサちゃんがずっと辛い思いをしてきたこと。
でも、だからっていつまでも悲しい顔をしてたら、あの子もきっと悲しむよ?」

アリサは頬を真っ赤にしたが、抵抗はしないですずかの手に自分の手を重ねる。

「うん」

分かっては、いるのだ。
自分を責めても、何も変わらないことぐらい。
どんなに考えても、愛犬が戻ってこないことぐらい。

でも、嫌だった。
昔はあの子に、今はこうしてすずかに。
たくさんのものを与えられながら、自分は何一つできない。
あまつさえ、あの子は自分のせいでこの世からその存在を消されることになった。

(あたしは、いつも想いに甘えてばかり)

あの子の想いに。
すずかの想いに。
なのはの、フェイトの、はやての想いに。
自分を知っている、全ての人の想いに。

あの子は戻ってこないけれど。
自分を責めても仕方が無いけれど。

でも、嫌だった。
想いに支えられるだけの自分が嫌だったのだ。
それは愛犬の死から、決して変わることの無いアリサの感情だった。

(想いを、守りたい)

支えられるだけではなくて。
自分の力で、守りたかった。

(あたしは、どうすればいいの?)


大切な人の存在を、その人の自分へ想いを、守る。
その為に自分に必要なものは……一体何なのだろう?



(……?)

そんなことを考えて、思考の泥沼にはまりそうな時だった。
不意に、アリサの頬に生暖かい風が吹きつけ、彼女の思考を中断させた。

「なに?」

その風に、何か常とは違ったものを感じて、アリサは風が吹いてくる方向を見やった。
するとそこには、案の定……と言うべきだろうか、普通では有り得ないものが見えた。

風……空気の流動に色がつくことなど、絶対に有り得ない。
なのに、目の前でアリサに向かって吹くこの風には、目視出来る程の、気を抜けば見惚れて
しまうような鮮やかな碧色がついていたのだ。

「アリサちゃん……あれ、なに?」
「私が知りたいわよ」

気が付くと、いつの間にか自分の身体から手を離したすずかが、背後で震えていた。
すずかも自分と同様……いや、それ以上に、この不可思議な風に良くないものを感じているの
だと、アリサは悟った。
……ならば、取るべき手段は一つ。

「すずか、行こう」
「え、あ……うん!」

この風がどんなものなのか、自分達にとって有害なものかどうかは分からないが。
少なくとも、自分が、そして背中の大切な人が良からぬものを感じている以上、この場を
去るのが賢明だと、アリサは思ったのだ。

アリサはすずかの手を引き、走り出した。



しかしながら、現実とはえてして無情なものである。
アリサとすずかがその場を離れる前に、碧色の風は、橙色の炎を伴って
より強く吹き荒れた。

やがて、風は人を吹き飛ばす程強くなり。
炎は、火事が起きたのかと思わせる程大きくなり。



「それ」は、目の前に現れた。



呆然とするアリサとすずかの前に現れたのは、橙の炎をその身に宿した少年と、
周囲に碧の風を吹かせる少女だった……。



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