夜空を見上げるのは好きだ。
星は一つ一つの色や明るさが違う。
その上位置も日時によって微妙に変化するから、どれだけ見ていても飽きが来ない。
ほど良い明るさと暗さの混ざった空はどこか浮世離れしていて、世知辛い現実を一時的に忘れさせてくれる。
……例えば〆切の迫った原稿だとか、提出期限の近い課題だとか。
 でも、それより何より。

(今日は満月、か)

どんな星よりも強烈な存在感を放ち、月を見るのが好きだった。
古来、絵画や短歌にも月を題材としたものは多い。
それだけ日本人が月を美しいものとして、あるいは崇拝の対象として捉えていたということだろう。
少なくとも私だけがズレた感覚を持っているのではない。
すると私にも少しは古の画家や歌人のように絵や歌のセンスもあるのだろうか。
……なんて、冗談めいたことを考えてみたりもする。
普段はまず考えないことが頭に浮かぶのも、この満月のせいだろうか。

(さて、そろそろ戻らなきゃね)

そこで一端思考を切り、部屋の方に足を向ける。
〆切の迫った原稿と提出期限の近い課題が私を待っているので、いつまでも現実逃避をしているわけにもいかない。
それに今はまだ夜が寒い春先。
溜まった諸々が片付かないだけでも大事なのに、外に長居したことで風邪でもひいてしまったらつまらない。
こうやって空を眺めているだけで原稿も課題も終わってくれたらいいのに。
無い物ねだりですらない、あり得ないことだけど、月と星に満ちたこの夜空を見る度にいつもそう思ってしまう。
まあこれも、外に出ることから始まる「気分転換」の過程の一つ……つまりはいつものことだ。

「沙英?」
「ふえっ!?」

まあそんな風に、考え事と言えるかどうかすら分からない取り留めのないことを思い浮かべていたものだから。
いきなり横合いから声をかけられた時には虚を突かれたように変な声が出てしまった。

「ヒ、ヒロ!? い、いつの間に」
「あら、驚かせちゃった?」

気がつくと、隣には見慣れた顔があった。

「晩御飯を持っていったら部屋にいないんだもの。探しちゃった」
「ごめんごめん。ちょっと、気分転換にね」

なけなしのプライドから「現実逃避」とは言わない。
もっとも、ヒロの穏やかな笑顔を目の前にすればそれも見透かされているような気がしてしまう。
そしてそれでも悪い気はしないのが、ヒロの不思議なところだ。

「それで、何をしてたの?」
「空を見てたんだ。星と月を見てると気分が落ち着くから、好きなんだよ」
「ふーん……」

特にやましいことをしていたわけでもないので、ヒロの質問には素直に答える。
するとヒロは意外そうというか、ちょっと驚いたような顔をした。
――ああそっか、この話をするのは初めてだったっけ。
付き合いが長いつもりだったから、私としても少し意外だった。

「本当に綺麗ね。今夜は満月だし」

同じ様に空を見上げるヒロ。その表情はいつにも増して穏やかだった。
もう私の目には星空は映っていなかった。
夜空よりも、それを見上げるヒロの表情の方がずっと綺麗だったから。
花より団子ってところかな。

「月っていえば」

そうやって二人で暖かくもない外に出たまま、一しきり夜空を見上げた後。
不意にヒロが口を開いた。
そこで初めて私は自分の視線が彼女に釘付けになっていたことに気付き、慌てて視線を逸らす。

「月は生まれてから、ずっと地球の周りを回ってるのよね」

いきなり何の話だろうと思ったけど、話を切るのも無粋なのでとりあえず耳を傾ける。

「どうして月は、ずっと地球の周りを回っているのかしら」
「ヒロ?」

ヒロの言わんとしているところが掴めず、今度こそ首を傾げる。
この空を見ていて思いついたことだというのは分かるのだけれど。

「私はね、月は地球に魅かれて、ずっと回っているんだと思うの」
「引力とか、そういうこと?」

理系の人間ではないからよく分からないけれど、月がずっと地球の周りを公転しているのは
地球の引力やら重力やらの影響ではないのか。
余りに当たり前の事象なので、今まで考えたこともなかった。

「ううん、そういう意味の『引かれる』じゃなくて、『魅かれる』ってことよ。
地球の青さとか美しさとか、そういうのにね」

確かに、写真で見る地球はとても美しいものだと思う。
写真ですらあれだけ綺麗に見えるのだから、もしそれを直に見ることが出来れば、それこそ月でなくとも
ずっと見続けていたい、ヒロの言うところの「魅かれて」しまうだろう。
それは分かったが、結局のところ彼女は何が言いたいのか、いよいよもって分からなくなっていた。
そうやって半ば混乱する私を尻目に、ヒロは再び口を開く。

「そう考えると、何だか私って月みたいだなぁって思っちゃって」
「へ?」

奥底に沈めようとしていた戸惑いが表に出る。私が月って……どういう意味?
まあ、ヒロが月みたいに綺麗だっていうのは否定しないけど。

……いやいやいや、流石にそういう意味で言ってるわけじゃないだろう。

「それって、どういう」
「ふふっ」

私が尋ねようとすると、ヒロはそれを制して手を伸ばした。
伸ばした手の先は……私の頬。
否応なく心臓の鼓動が早くなり、体温が上がるのを感じる。

「私もずっと、地球に魅かれてずっとその周りを回っている月なのよ」

事ここに至り、ようやく彼女の言わんとするところが分かった。

――そうだ。彼女は元々、このひだまり荘の2階に住んでいた。

それがある時、私の部屋の隣に引っ越してきた。多分、私のために。
それだけじゃなく、差し入れをしてくれたり、仕事のちょっとした手伝いをしてくれたり。
気がつくといつも、私の傍にいてくれる――それは確かに、地球をの周りを公転する月のようだ。
私の何処に魅かれるのかは謎ではあるけど。

「あ……」

ふとヒロの表情が我に返ったようなものになる。
その顔にさっきまでの笑顔はなく、後悔と気まずさが浮かぶ。

「ご、ごめんね。いきなりこんな」

勢いでやってしまった……とか、そんなところだろうか。
私もされて嫌なことではなかったのだから、別に気に病む必要はないのに。
それ以上に、彼女のそんな曇った顔を見ている方がこっちも辛い。それに、

「ううん。私も、多分同じこと、考えてたから」
「え?」

引っ込めようとしたヒロの右手を掴まえて、そのまま私の両手でそっと包む。

「私もきっと、ヒロっていう名前の地球に魅かれたお月さまだから」

魅かれているというのなら、私の方がヒロに魅かれている。
私にとって彼女は地球や月よりも綺麗で、大切で。
ずっと、ずっと、眺め続けていたいものだったから。

「沙英……ありがとう」

笑顔に戻ったヒロの頬は、今までに見たことのないくらい真っ赤だった。
こんな茹で蛸みたいな顔を見るのは初めてかもしれない。

「だから、これからも、私の傍にいてくれる?」
「おかしなこと言うのね。それはこっちの台詞……私の方こそ、お願い」

強く、そして優しく、私の手が握り返される。
その手は彼女そのものであるかのようにとても暖かく、優しかった。

「……本当に、綺麗ね」
「そうだね」

やがて、今更のように気恥ずかしくなってどちらからともなく空に視線を移す。
私のお月さまが隣にいる……そんな中で見た本物の月は、いつもより少し明るく見えた。


 あとがき 皆さんこんにちわ。世界の遅筆、霧崎和也です。 ……これ自体もある方に贈ったSSの改稿だったりするわけですが。 いい加減新しいの書こうよ、俺。 さて、ご覧の通り(?)今回はひだまりでヒロ沙英です。 初めてアニメをまともに見たのが3期の途中という何とも今更な感はありますが あっと言う間に引き込まれました。 ナチュラルな百合っぷりとほのぼのとした雰囲気が好きです。 4期もやってくれないかなぁ……今度は絶対最初から見るのに。 ひだまり王の願いが届けばシャフトのお偉いさんに届けば良いですね。 普段からナチュラルに夫婦っぷりを見せてくれる分、 逆に初々しさやら何やらを押し出した普通の恋愛ものをヒロ沙英で書くのは難しいところもありますね。 書いてて楽しく、そしてどこか書いてる方が恥ずかしくなるのですけれど。 夫婦がデフォルトな分、いざとなると歯止めが効かなくなってどこまででも行っちゃうような気がする…… そんなイメージを基に書きました。 まあ当然ながら初書きのひだまりSSになるわけなので もしかしたら原作と矛盾があるところがあったりするかもしれませんorz 一通り読みましたので大きな矛盾点は無い筈なのですけれど。 それでは。 年内にもう一本くらい上げたいなぁ……とか割合無理なことを考えたりしてる霧崎でした。 2010.12.29 霧崎和也 ギャラリーに戻る
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