第97管理外世界、現地名称「地球」。 近代までその管理外世界の中心として発展してきた国・イギリス。 その片田舎で、ギル・グレアムは静かに余生を送っていた。 「ふぅ、少し疲れたな」 椅子に腰掛けると少し軋んだ音がする。 ここに来てから、それだけの時間が経ったということだろう。 日課の散歩で少し遠くまで行き過ぎたせいか、いつもより若干の疲労が残っている。 「父様、大丈夫?」 「少し休んだ方が良いんじゃない?」 そんなグレアムの身を案じて、使い魔とリーゼロッテとリーゼアリアが駆け寄ってくる。 「ああ、すまないね。ロッテ、アリア」 彼女達を使い魔にしてから、相当な長い時間が経つ。 それなのに……否、長過ぎて自分が年を取ったせいだろうか、未だに心配性なところがある。 「だが、大丈夫だ。今日は少し遠くまで歩いてしまったからね」 なので手で制し、大丈夫だという合図を見せる。 この程度の疲労ならこうして少し座っていれば引くだろう、流石にそこまで老いてはいない。 「それより、あれはちゃんと送ってくれたかい?」 そして何より、今は自分の身体の具合よりも大事なことがある。 「もっちろん! 忘れたら何を言われるか分かったもんじゃないからねー」 「もうすぐ、届くんじゃないかな」 現在、イギリスの時間は6月3日の16時。 時差が8時間ある日本は6月4日の0時ちょうどになろうというところ。 グレアムは目を細め、部屋の一角にある写真に目をやる。 そこには一人の少女が、多くの仲間や友達に囲まれ幸せそうな笑顔で写っていた。 「そろそろ、向こうは日付が変わるころか」 6月4日。 それは写真に写る少女ーー八神はやての、誕生日だった。 おめでとうとありがとう 「5年か。本当に、早いものだ」 彼女の誕生日は、グレアム達にとっても特別な日だった。 かつて夜天の書という、一冊の魔導書があった。 ある時「呪い」が加えられ闇の書と呼ばれるようになり、多くの人間を不幸に見舞った。 グレアムもその一人であり、当時艦隊司令を務めていた彼は闇の書を捕らえるべく戦い……そして、クライド・ハラオウンを始めとする多くの部下を失った。 その後、闇の書は新たな主を求め、一人の少女の元へ転移した。 それが、八神はやてだった。 そして闇の書が起動し、後に彼女の家族となるその守護騎士達と初めて出会ったのが5年前の今日、はやての9歳の誕生日だった。 「正直なところ、彼女との関係をこうして続けられるとは思っていなかったよ」 グレアムは何とかはやての存在を突き止め、自分を彼女の遠戚だと言って支援を始めた。 身寄りの無いはやてのことを純粋に不憫に思ったということも、もちろんある。 しかし彼の目的は、彼女を誘導し、闇の書を再び葬り去るところにあった。 「父様……」 はやて一人を犠牲にすれば、闇の書の呪いは終わるかもしれない。 しかしそのために、短い人生のほとんどを身寄りがないまま過ごした薄幸の少女を犠牲にしていいのか。 グレアムはその感情の中で揺れていた。 そしてそれは、今でも変わらない。 今でも彼の肩は、はやてを犠牲にしようとした罪悪感に苛まれている。 グレアムの計画は、結果から言えば失敗に終わった。 もっとも闇の書の呪いは彼の計画とは違った形で消え去り、はやては魔導師として成長し活躍している。 「父様、いつまでも気に病むことないよ。今は全部、うまくいったんだしさ」 ロッテやアリアは、はやてに直接的な支援をしていたわけではない。 加えて彼女達はグレアムの使い魔である。主が苦悩の末に出した計画を遂行すべく動くのは当然だった。 だからこそ、主の苦悩を理解しつつ、言葉をかけられる。 裏を返せば、それしか出来ない。 「そうだな、それで十分だ」 そんな使い魔達の想いは、しっかりとグレアムに届いていた。 その両手をロッテとアリアの頭に置き、ゆっくり撫でる。 はやての存在が、グレアム達に消せない罪悪感を与えているのは確かだった。 彼女は敏い子だから、自分達のしようとしていたことにも気付いているだろう。 もっとも、それは彼らの背負うべき業でもある。 だから今は、本来は失われていたかもしれない一つの命が今も笑顔でいること。 それが幸せなことなのだと、そう思えたし、思うようにしていた。 グレアムが目を覚ましたのは、夜も更けた時間だった。 (ここまで疲れていたとはな) どうやら遠くまで歩いて行ったことで、予想外に疲れていたらしい。 身体には毛布がかけてある。恐らくはロッテとアリアがかけてくれたものだろう。 起こさなかったところを見るに、よほど深く眠り込んでいたらしい。 このままでは風邪をひき、更に身体を壊してしまいかねない。部屋のベッドに戻…… 「だーれだ?」 ろうとして、突如視界が暗転した。 一瞬立ちくらみかと思ったグレアムだったが、目には手の感覚。そしてこの声。 「驚いたな。まさか君がここまで来てくれるとは思わなかった」 グレアムはそっと自分の目を覆っていた人物の手をはがし、後ろを振り向く。 そこには彼が考えた通りの人物が立っていた。 ショートカットの茶髪にヘアピン。 「こんにちは、あ、こっちの時間やとこんばんは……かな、グレアムおじさん」 八神はやては、写真に写っているものと変わらない、否、少しだけ悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。 「直接会うのは久しぶりだな。今日はどうしてここへ来たんだい」 「ふふっ、今日は私の誕生日なんよ」 「忘れるわけがないだろう、おめでとう。この前ロッテにプレゼントを送らせたところだ」 今まではやてが誕生日にここへ来たことなど無かったので、グレアムはこの突然の訪問が解せなかった。 ところが、聞いてみてもあまり要領を得る答えは来ない。 そもそも、自分がはやての誕生日を忘れるなどということがあると思っているのだろうか。 「うん、ちゃんと届いたよー。あんな凄いもの、ありがとうな」 「気に入って貰えたなら何よりだ」 どうやら自分達の贈ったもの……誕生日プレゼントは届いていたらしい。 何はともあれその点については内心胸を撫で下ろしたグレアムであった。 「でも、今日来たのはプレゼントが欲しいからじゃないよー」 そんな彼の心情を知ってか知らずか、はやては変わらず楽しそうに歩き回る。 「言いたいことがあるんよ」 「言いたいこと?」 そこまで言うと、はやては足を止める。 足を止め、グレアムの目をまっすぎに見据えて、再び口を開いた。 「誕生日いうんは、普通は誕生日を迎えた人が『おめでとう』って祝ってもらうんよね」 「そうだな。誕生日を迎えた人に皆が『生まれてきてくれてありがとう』と祝う日だ、と聞いたこともあるが」 誕生日と言えば「おめでとう」が定型句だが、その考えは人それぞれだ。 かつてグレアムが知り合った中には、そんな「生まれてきてくれてありがとう」という考え方を持つ人物もいた。 「でもね、おじさん。私はみんながおらんと一人で生きてくることはできんかった」 はやてがわずかに顔を下に向ける。 「今はもういないけど、私を産んでくてたお父さんお母さんには感謝してる」 「一人ぼっちだった私と一緒にずっといてくれる、シグナムにも、ヴィータにも、シャマルにも、ザフィーラにも、リィンにも、感謝してる」 「私がこうやって今年も誕生日を迎えられるんは、支えてくれたみんなのおかげなんよ」 はやては再び顔を上げる。 「だから、私は誕生日にみんなに『ありがとう』を言いたい。それは、グレアムおじさんにも」 そして続けられた言葉に、今度こそグレアムははっとする。 「グレアムおじさん、身寄りのない私を支えてくれてありがとう。 私をみんなと会わせてくれて、ありがとう」 グレアムはしばらくぶりに、目尻が熱くなるのを感じた。 確かに、はやてとその「家族」が出会う契機はグレアムが作ったようなものだ。 彼の支援が無ければ、彼女は幼くしてその生命を落としていた可能性すらある。 だがそれは、彼の計略によるもので、彼女の幸せを願ったものかと言えばそうではない。 しかし、それでもはやては、多くの手を借りながら、それでも自らの手でその契機を掴み、立ち上がった。 車椅子だった彼女が今まさに、自分の足で立って歩いているように。 そして彼女は、その契機を与えてくれたグレアムを赦した。 (何ということだ。恨まれることはあっても、感謝などされようもないと思っていた) 否、赦すというのは正確ではない。 はやては最初から、グレアムが自分の赦しが必要なことをしたとは思っていない。 純粋に、感謝しているのだ。 (ましてや、救われるとは) だから彼女は、無意識にかもしれないがこう言っている。 罪悪感を背負う必要など無いのだ、と。 それは彼にとって、救いだった。 「いや、ありがとうはこちらの台詞だ」 そんなはやての思いに感じ入りながら、グレアムははやての頭に手を置く。 「ふふっ、ありがとうは今日は私が言う日やって言うてるのになー」 そのまま頭を撫でる。まだ大人になりきっていない、少し子供の気配が残る頭だった。 「おじさん、私ももう管理局で働いてるんやからねー? 子供じゃないんよー?」 少し頬を膨らませながら、でも笑顔はそのままのはやて。 「いやいや、とは言え14歳だろう。私から見ればまだまだ子供だよ」 「むー、それは反則やでー?」 つられて、グレアムも自然と笑顔になる。 こんなに穏やかな気持ちで笑えたのは、一体いつ以来だろう。 「ゆっくり大人になっていけばいいさ」 「……せやね」 君には自分で掴みとった、これからの長い未来があるのだから。 グレアムは言外にそう伝え、はやてもそれを汲み取る。 そしてまた、笑顔を交わした。 「誕生日おめでとう、はやて」 「ありがとう、グレアムおじさん」 6月4日。 一人の少女の誕生日。 その日は一人の少女と、一人の男にとって、特別な日であった。 そしてこの日。 一人の少女と、一人の男にとって、特別な日は、更に特別な日となった。
あとがき 八神はやてちゃんお誕生日おめでとうございます!(2日遅れ) ぴ、pixivにはちゃんと4日のうちに投稿したから!23:56とか割とギリギリだったけど! ……こほん、霧崎和也です。 まぁそんなわけで、なのはのキャラクターでは数少ない(というか唯一?) 誕生日の判明しているはやての誕生日祝いSSでございます。 何年か書こうと思いながら機を逃していたので、ようやく希望叶ったというところでしょうか。 誕生日は良いですね、SSを書く動機づけに最適です(祝え) 今回は誕生日によくある「サプライズのプレゼント」と「カップリング」の2つの要素を あえて排除してみようと思いながら書いてみたものです。 厳密に言うとサプライズ要素は若干入ってますが……なかなか難しいですね。 で、その相手が何故グレアム提督なのかというと、まぁ円盤も出てご存知の方も多いとは思いますが この人劇場版だと出てこないんですね、リーゼ姉妹共々。 僕は無印の頃から段々と都築先生が「悪役のいない世界」の形成を進めつつあると考えているのですが その煽りを食らった形、となるんじゃないかと。尺が無かったとか言わない。 はやてちゃんは強くて優しい子なので(だから時々いじめたくなってしまうのですが) きっとグレアムおじさんにもこんな感じで接せるのではないかと。 とまぁ、ちょっと短い気もしますが今回はこの辺で。 次の更新がは例によって未定ですすみません。なるべく早くしたいですね。 それでは。 2013.06.06 霧崎和也 無限書庫に戻る